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歌手の話 分島花音(killy killy joker、Love your enemies、無重力など)

※暫く2日に一回ペースでしたが、年末年始なのでちょっと休みます。

 冒頭部のLove your enemiesの楽曲紹介は、新プレビューと同じ文面です。そこから来た人は少し下までスクロールしてみて下さい。

 

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 ・分島花音/Love your enemies

Love your enemies

Love your enemies

  • 分島花音
  • アニメ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

 9つ目のシングルは派手にオーケストラルな仕上がり、というよりはそのままオーケストラが大活躍する楽曲だ。WIXOSSの主題歌ということでkilly killy jokerとworlds end, girls rondoに続くような曲のイメージが大切にされていると思うけれど、これまでになく特徴的なのは管楽器がいることで、ストリング(※)的な柔らかさというより金管楽器が含められた管弦のキラキラした音楽のイメージに近づいていることだと思う。

 ボーカル曲としてもとても簡明で聴きやすくて個性が素晴らしく活かされている。高い音には派手にミックスの声が使われており、この高さ独特の力強さと辛さが楽曲全体に内包されていて自然な説得力がある。裏声を混ぜた声の付近からスタートして更に高い方に2オクターブ近い音域が収まっているが、広さどころか狭さすら感じさせないようなこの完成度には個人的には舌を巻かざるを得ない。youtubeになんとフルコーラスのPVを含め幾つか試聴用の動画が上がっているので、詳しく聞きたい人はすぐに見つかると思うので探してみて欲しい。今後やこれまでのアニソンロックを技能的な面から象徴するような楽曲として、ファンでなくとも一見の価値はあるだろう。

 

vmayfy.hatenablog.com

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 この人の曲ははっきり言って異常に難しい。killy killy jokerなんかはそつなくやっているように聞こえるかもしれないけれど、曲としては完全に正気ではない。僕なんかは分島花音本人が歌っているのを聞いてすらどうやって歌っているのか理解不能な部分がある。理解不能だと思うほうが理解不能だという意見もファンからすればあると思うけれど、まあちょっと聞いてみて欲しい。
 分島花音には技術がある。けれど、その技術がどう曲の中で活かされているのか理解するのは容易いことではない。CDとしては2オクターブもあるような歌を平たく見せていること以上にサビに余裕があることが興味深いが、サビ以外で声を作ることが最終的に、普通に歌うとポピュラーを超越せざるを得ない難解な歌をシンプルに見せてポピュラー音楽に落ち着かせる役割を果たしているという意味では、他の人がやって来なかったことをしていると言える。一言で言えば難しい曲が歌えるだけでなく、さも簡単そうに歌えるという点で、ポピュラーの歌手としてアドバンテージを持っているということだ。
 


141015_分島花音_world's end,girl's rondo&continue_音源試聴

 

 彼女の技術が合理的に現れているのはcontinueと無重力だ。ともにシングルのカップリング曲なので単体で聞かれることは少ないだろうけど、それがもったいないくらいボーカル曲としてはまとまりがあって聞きやすい。特にcontinueは彼女の曲の中では直球に近いロックなので、あまり分島花音の流儀を知らなくても普通に聞いて普通に満足することが出来るだろう。
 無重力はシンプルでありながら非常に個性的だ(ここに乗せて怒られなさそうな音源がなかったので適当に探してください)。あのフレーズをサビに持ってきて全体で釣り合いを取るという曲へのアプローチが常人の発想ではないし、それでもサビで解放感が出るのはこの歌手に歌われていることに対する納得感があるからだ。曲を聞くとどこをどう歌うことが想定されているのか容易くわかり、実際に歌い手がその通りに歌っているという一貫性は、聞き手が歌に人間性を感じるために一番重要なことだし、実際サビの見せ場ではこれしかないというような思い切ったファルセットを曲に収めてある。無重力というタイトルの割には、聞いていると要所の手前でちゃんと着地しているじゃないかという感じがするし、ついでに言えばこの曲でポップスに着地出来るのが分島花音の類まれな技術だなと思う。

 


20140430_分島花音_killy killy JOKER_MUSIC VIDEO試聴

 

 

 

 (リスアニstudioの分島花音の動画の外部リンクは、転載を辞めるようにという話だったのでリンクを消しました。わりと参考になると思うのでニコニコあたりで適当に探してみて下さい。)

 

 
 一方で、彼女の代表曲であるkilly killy jokerは、まず歌われているというイメージがつかみにくいことに音源としての不思議さがある。さきの二曲は難所で綺麗に裏へ行くのでわかりいいし自然だが、これは初めから聴き始めてここまでが曲のパッケージなんだろうと納得できる表現から曲を聞いていくと更に2段階ぐらい突き抜ける。CDというのはライブとは違い一つの完結した世界なので、CDになっている以上その歌手が実際に同じように歌えるか否かなんて小さなことは重要ではない。ただ、この世の何処かの人になら出来るぐらいの表現でないと問題はある。将来歌手自身がそこに追いつける可能性を奪ってしまうからだ。
 まず出だしが男性でも1オクターブ下のキーで余裕で歌えるぐらい高い。生まれつきの声が極めて高い女性歌手はそこが低音になる可能性もあるが、分島花音にとってはあの音はせいぜい中音域ぐらいだ。というかある程度の高さがないとAメロBメロのフレーズがポップスとして綺麗に歌えないので必然的にキーは高くなるんだが、となるとサビの突出して高い音は完全に裏に行くだろうなという直感が普通働くと思う。端的に言えばキーが高めであることで他の部分が綺麗に収まっているのだから、ここがファルセットにならないのは楽曲としてやや合理性を欠くが、CDでは完全に地声が混ざっているところが音源として厄介だ。この声は流石に無理があるだろう(ライブなんかだとここはよく裏に行くらしいが、重要なのはCDにおいて普通に行けばこれだろうという合理的な歌い方が意図的に避けられていることだ。つまり再現性よりも声質という表現が重視されている)。


 サビ(運命に~のフレーズ)が喚声点(裏声と地声が切り替わるポイント)付近で延々と動かされ続けるのもあの高さからスタートすることを考えるとかなり厳しい。angelaのShangri-Laみたいな感じで抜く裏声が使えることもあるが、少なくともこの曲ではそういう歌い方はされていないし、速さとか次のブレスまで遠いとか色々なことを考えるとあそこにはむしろ多少の苦しさがあったほうが自然だろう。(何でこいつは延々とこんな訳の分からない話をしているのだろうと思われるかもしれないが、リスアニstudioを聞けばある程度理解はしてもらえると思う)
 曲のキーを決める要素というのは色々あるけど、大体はAメロを中音域に合わせてサビが最低でも何とか収まるようにするというような感じで、必ずしも高い音に合わせるという話ではない(勿論技術的な問題で高い音に合わせざるを得ないことはよくある)。分島花音の曲になるという前提で考えるとこの曲はそのちょうどいいキーの基準が開幕とサビの出だしと高音で3つあって、低い音は高く歌いたいし高い音は低く歌いたいという難しさがある。これは流石に多い。サビが裏に行かないのが一番大きいけれど、簡単にいえばCDの表現では音楽的に合理的でもボーカル的にやや厳しい物があるので、曲になっているのはわかるものの無事に歌われている事には難しさを感じざるを得ない部分がある。そしてCDになるにあたって重要なのは、いつか歌手がそれに追いつけるようにすることだ。今ならもっと合理的なCDが作れるだろうし、それは時期的な問題なのでしょうがないがもったいないと思う。
 
 そもそもこの曲には1オクターブと10半音の音域があって、全体で余裕を持たせるためには本当はサビで綺麗なファルセットを使うしかない。分島花音の技術では歌えないという話ではなく、人間なら普通あのCDに入った歌い方では中々歌うのは難しいだろうということだ。実際に上手いか下手かで言うなら、これがまともに音源になっている時点で分島花音が上手くないわけがない。
 AメロとBメロで歌い方を崩してあるのであそこが中音域だというのがいまいちピンとこないこともあるだろうし、その場合低い音からスタートしているから高い音にも収まるという話になるだろうし、ある意味そういう認識を与えて無駄に高尚な世界にならないよう発声を崩すのが分島花音の流儀だと思うけれど、はっきり言って中音域からスタートしてこの歌に地声を混ぜて収めるのは難しい。worlds end,girls rondoの方が音域は広いし実際に歌うのも難しいかもしれないが、あの曲は高い方が自然に裏返るように曲が作られているしCDでそう歌われている以上ボーカル的には一貫性があり、実際に出来るか否かよりも重要な事としてCDでは非常に技術を持った歌手として明快に聞ける。一方で、こちらは本当は厳しさのある歌い方をしないと収まらないものを平たく音源に収めてあるのが解釈の一番難しいところだ。


 
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 まあ幾ら厳しいとはいえサビが綺麗に裏声になっていればCDとしてはよくあることぐらいの話だし、それぐらい余裕を持ちながらCDを聞かないのは逆におかしい。そして実際に裏に行って歌われることがある以上楽曲自体に破綻はない。音源として許せるかどうかだけの問題だ。
 ある意味でCDにどれだけのことが許されるのかということで、そもそも歌手に出来ない表現が収まっているのがCDの魅力であって、そこには人にできないことも多少は含まれている。ここは普通にやれば声にはならないだろうという部分が音源でも曖昧になりながらも曲に収まっているのは、CDとして歌手自身のポテンシャルを反映している。出来かけているからこそ編集すればCDになるのであって、そこに歌手の到達点があるという意味で評価することは難しくはない。しかし端的に出来ないことがわかる表現をどう扱うのかというのには、大体はCDで盛ったところでその歌手には出来ないけどこの世の歌のうまい誰かには出来るぐらいの表現に落ち着くので少なくとも斬新さはあるし、そもそもそこまで突き抜けられるからには元々技術があるという推測も成り立つ。僕はそういうCD的な表現がそれなりに好きだからアニソンを聞いているが、それはそれとしてあの音はファルセットに行かないと出ないだろうし、人に出来ることには仮に歌手自身に出来ないことだったとしても特有の自然美がある。CDになっている時点で実際に歌えるかどうかがどうでもいいということもよく言われるがそれは本当で、歌の向こう側に歌手の姿が見えさえすればそれが実際の歌手の姿と同じでなくても、そこにCDの中の歌手という一つの世界が出来ているし、それを受け入れるのがポピュラー的な音楽だからだ。だからこそ歌手個人に出来なくてもこの世のどこかにいる人間には出来るであろう表現に収めて聞き手に想像の余地を残すことが重要になる。
 
 CDというのはセルフカヴァーしないかぎりはいつまでも「あのアニメのOP」や「ライブで歌われる曲」として、昔吹き込んだものがCDとして残り続ける。今年のアニサマの録画音源は死ぬほど出来が良くて、あれが最初から来ていれば何の問題もなかったんだけど、あの歌がもし将来あんな感じで歌えるようになっても昔のCDがそこに蓋をしているというのはちょっとやりきれない部分があるというのが、僕が一番言いたいことだ。(もちろんライブ音源だから生のままではない。ライブの時点で裏に薄くプリエンコーディング音源を流しているかもしれないし、そもそも円盤にするために歌手の口元のマイクから入る音だけ別に録音してあるんだから弄れるに決まっている。現にアニサマはコラボや原作にない組み合わせで歌われるもの以外は見も蓋もない程円盤になる過程でえげつなく弄られていると個人的には考えている。ライブは本物だから信用出来るという話ではなく、ライブで出来ることが録音と編集をいくらでも継ぎ剥げるスタジオ環境で出来ない訳がないので、それが世に出回ったCDよりもまともなのはエンジニアリングに問題があるという話だ)。まあ、そういう自分には出来ないことを積み上げていきながらチャンスを掴んでいくのがCD的な音楽の世界なので、おかしいことや珍しいことをしているわけでは全くないんだけど、後から自分で追いつけるような音源を作っていくことはある程度意識されてしかるべしだし、あれを収録したときはどうだったかわからないが、今ならもっと魅力的なCDが出来るだろう。
 逆に分島花音が積極的にライブや番組に出てくることには、ライブが出来ない歌手が多い中で歌えないことは恥ずかしくないという歌手からの暗黙のメッセージが含まれていると思うので、生に近い歌を聞くという趣旨の中で音響が糞だとかたまたま歌えてないだけという援護は無意味だと思うし、はっきり言うけれど歌えないことは恥ずかしくもなんともない。僕は歌手に出来ない表現が入っているのを楽しむのがポピュラー的な音楽の真髄だと思っているし、その意味では整える素材があること自体が一番評価されるべきだ。だから「ある曲が歌えない」と「歌が上手い」は両立するし、歌えるか歌えないかのベースで争う必要もない。そもそもCDも歌手もいつか出来るようになるところを目指して音源にすると見做すのが、自分をCDにして流通させることを選んだ歌手に対するリスナーとしての敬意なんじゃないかと僕は思うし、分島花音はこの時点でも明らかに素晴らしい技術を持った歌手だ。
 
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・world's end, girl's rondo

近未来的なオケと軽快で技術的な歌が合わさった、多くの歌手や作曲者がやりたくても出来ないような素敵な楽曲。低音がないとすら言える程の高さから更に2オクターブを積み上げているが、Aメロからサビに至るまで全体で厳しさが歌の中に表現されているのでとても自然。

world's end, girl's rondo

world's end, girl's rondo

  • 分島花音
  • アニメ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

・continue

 彼女のこの手の楽曲の中ではたぶんこれが一番歌っているイメージをつけやすい。他の歌手がサビではだいたい技術的な苦しさをCDにおさめてくる分この人の曲はサビがすっぱり行き過ぎるキライがあるが、これは声に表情があることが理解しやすく特に見せ場で迫力を出していることでいかにも歌っているという緩急が付いているが、やはり音は非常に高い。

continue

continue

  • 分島花音
  • アニメ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

・無重力

 見せ場にシンプルな高音のファルセットを持ってくるという楽曲の構成以上に、フォーマルな歌い方にとどまらないことで余計に自由さを感じさせるような楽曲。発声上は正しいファルセットではない気もするが、そこにすら歌い手としての余裕を感じさせるし、考え方がそのままCDになっている分かなり納得しやすい音源になっている。

無重力

無重力

  • 分島花音
  • アニメ
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes