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試しにアニソンを聞いてみる。

ボーカルの視点から音楽を聞いてみる。暫く休みつつ、過去の記事を地味に校正したりしてます/ページ下部でカウンター稼働中。たまに見てみて下さい/・歌手の話まとめ→goo.gl/JiZPgQ/コンテンツの使用などに関して問題があれば撤去しますのでお伝え下さい。ご連絡はhttps://twitter.com/yfyamvまで

ボーカロイド音楽の確立と、ボーカル曲との距離感について

 
 以前某所にアップロードされていた結月ゆかりのシリョクケンサを聞いた時、ボカロにも音声的な調教のアプローチでなく、ボーカル的なアプローチが成立するんだと思って感心した。
 この世の殆どの神調教と呼ばれるものは実際には歌的というより音声的に人間と近いことが評価されているし、逆にボーカル的な意味で歌に近いことなんてほとんど気にされていないようにも見えるし、そうなれば終着点は人力VOCALOIDなんだろうと思うけれど、そもそも音声的と歌的ということにどう違いがあるのか、出来る範囲で簡単に説明しようと思う。

 


【MMD-PV】シリョクケンサ【結月ゆかり】[HD1080p]

 

 ボーカル性というのをインスト的に捉えれば、メインメロディの見せ方とか、そのメインメロディ自体にメロディアスさがあるとかそういうことになると思う。ボーカル音楽のボーカル部分だけを別の楽器に変えたとして、それはインスト曲かもしれないけど楽曲の構成として優れてボーカル音楽的な特徴を持っているはずだ。ボーカル音楽的なインスト音楽も、インスト音楽的なボーカル音楽もこの世にはあり得る。
 そんな中でボカロ音楽がボーカル的かインスト的かというと、比較的ボーカル的なものとして扱えると僕は思うけれど、そのボーカル性には少し特徴がある。抽象的には、ボカロPはボーカロイドを歌に近づける努力を曲自体をボカロナイズドさせることで行ってきた節があるように感じられる。具体的にはメロディーの細分化やロングトーンの排除や起伏の増長とか、要するにボカロ的に映えない表現をボーカル曲から抜き取ってしまえばボカロにも歌えるようになるし、当然人間に出来なくてボカロに出来ることも増えてくる。要するにボカロ曲はボーカルに対する向き合い方が一般的なボーカル曲とは大きく違うのだ。


 
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【初音ミク】 La, La, Love You 【PVつけてみた】

 

 今となっては信じられない話のような感じもするけれど、ボカロというのは元々ボーカリストがいないとかボーカル的なミキシングが出来ないというDTMで音楽に入った人にとって当たり前の壁を超えるものとして、つまりボカロはボーカリストの代わりとしてあった。
 そこからはいくつかの問題が起きる。ボカロに慣れたDTMerは別に歌が専門なわけではない。まあ知識としては勉強している人は多いだろうが、もっと言ってしまえばボーカル的な視点から歌を理解する技術を持たない場合が多いということで、これによりボカロ音楽はボカロ自体の技術的な必要性からというより雇用者の指向からボーカル曲的なものとは少し違った発展を遂げる。
 具体的にはボカロの調教自体は音声的な面から人に近づけられるのであって、それが突き詰められれば人の歌になると信じられているということだが、よく考えて貰いたいんだけど音声だけを人に近づけて行けば、最終的には人間の歌じゃなくて人力ボーカロイドに行き着くだろう。つまりよりボーカルに近いものに最終的に行き着くためのアプローチは、実は音声とは違うところにあるし、ボカロに歌手性を与えるためには音声的なアプローチだけではなく音楽的な観点からボカロの音声を「歌」のフォーマットに梱包してやる必要がある。
 


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 しかしはっきり言ってこれは難しい。言ってみれば我々は話すことのプロなので、大方音声を理解することは出来るが、ボーカルへの理解は歌に関わる人でも無い限りは、本当に運よく歌を聞くことについての第一歩を正しい方に踏み出せた人でないと得られない。はっきり言えばそれがボーカル音楽の難しさだといってしまっていいと思う。
 
 このような問題はボカロ雇用者の間で、人間性に対する理解を深めるというよりはむしろ歌自体から人間性を切り離すという方法で正当化されているように見える。つまり人間に出来ないことをさせて、歌手を比較対象に上げさせなければいいということだ。
 ・人には不可能な滑舌を使ったり音程の幅を使うことで、漠然とした大きなリズムの所謂グルーヴ感を表現する余地をなくしてしまったり(意味がわからないかもしれないけれど、イメージとしては、リズムを上手いこと人間的に切り分ける能力がないことなんてみじん切りにしてしまえば誰も気にしないので、歌詞を詰め込めば必然的に打ち込み特有の不自然さはなくなるということだ)
 ・ブレスとブレスの間に1フレーズを作りその中に緩急を作るというボーカル音楽のフレージングの手続きをある程度無視してみたり(ブレスの音がボカロでも使えることなんて一般的なボーカル曲のフレージングの複雑さに比べればあまりに些細な問題だし、その意味でボカロには歌とか管楽器のような意味での「呼吸」から組み立てるフレージングは必要がない)
 ・あるいはテクノ的なオケを使いながらボカロの音声自体に細工をすることでオケの中に溶け込ませていく(エレクトロポップ風にしてあるもののように、ボカロの個性を人間の声を加工した後の状態に例えるのもよくあるが、どっちにしろあえて人間の声から更に遠ざけることで違和感をなくしているのだ)というようなことだ。一言で言えば、曲自体をボカロに合うように変えて、人間らしくない要素を切り捨てていけば勝手にボカロ的な違和感はなくなる。
 
 まあそれらのことは、聞いた者が明らかに人の歌と違うと感じさせる要素を減らすためにあえて人間の歌と距離を取っているという話なので、それだけでは聞き手は歌とは感じないだろう。じゃあそうやって歌でない要素を潰す他方でどうやって歌である要素を入れるかというと、滑舌を使う。これは正しく音声からのアプローチだ。
 
 ポピュラーミュージックは滑舌の中からピッチやリズムを作っていると言ってもいいほど滑舌に頼っている部分が大きい。滑舌がない歌というのはオペラを思い浮かべてもらうのが一番はやいと思うけれど、あれは極端に言えば滑舌を取るための発声ではないので、曲の中でボーカルのメロディーやリズムが滑っていくように感じられると思う。要するに我々は普通滑舌のない音楽の中にボーカル性を感じにくいし、滑舌からメロディーが作られてさえいれば殆ど歌に聞こえるのも事実で、特に母音が非常に多く音符の数も多い日本語の歌を日頃聞いていれば滑舌で刻みながら歌を作るという発想になるのも無理からぬ話だ。
 
 だからボカロはDTMer(?)の都合をひっくるめて滑舌で歌を刻んでいくし、そしてそのやや中途半端な技術からある程度歌に近いものが出来るようなDTM的なノウハウが積み重ねられてきた過程で今出来上がっているのがボーカロイド音楽の世界だ。決して無作為な発展が有ったわけではない。
 
 


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【初音ミク】 Snow Fairy Story / 40mP 【SNOW MIKU 2015】

 

  しかしボーカルの立場から言えば、そういうボカロ向けな楽曲のノウハウが今となってはボカロ自身の歌が人間に近づく必要性を奪っているように見える部分もある。現にここまで述べてきたことは、ボカロPがボーカル性という謎の多い世界を迂回して音声からボカロを組み立てていこうとした結果、一般的なボーカル曲から人間にしか出来ない事を取り除いてボカロにしか出来ないことを突っ込むことでボカロ音楽は発展したし、その間に実はボカロは人間らしくならないどころか悪ければ人間から遠ざかっているという話だ。まあボカロにアジャストする為に人間の歌から人間性を切り離しているんだから、当たり前のことだと思う。
 
 ボカロ的な表現に慣れたリスナーはボーカル的な音楽よりボカロ的な音楽を求めるようになるし、歌う歌を探す歌い手と歌ってくれる歌い手がいないボカロPの利害一致が必ずしも起こらなくなり始めたのも恐らくボカロ的な表現が重宝されるなかでオリジナルの状態が完成品という扱いを受けるようになっているからだと思う。それぐらいボカロ音楽とボカロ的な表現は強い力を持っているけど、何でその中で冒頭のような話をしたのかというと、ボーカル的な緩急やリズム感の概念は世間で思われているように必ずしも音声的な問題に帰結するわけではなく、むしろ音声的な面以外から解決可能な部分があるし、そこを突き詰めれば実はボカロっぽいを通り越して歌っぽいものも作れるということだ。

 


ぽっぴっぽー(V3Edition)-初音ミク for LamazeP

 

  そもそも音楽的な視点からのボーカルらしさは歌を聞くことに関して相当の力を持っていないと評価することは出来ない、というか簡単に言ってしまえば歌に関わることを何かしらの方法で専門にしているような人でないとわからない部分がある。だからそれが切り捨てられるのは当たり前なんだけど、改めて言えば人の歌とボカロの間に現時点で違いがあるのは音声的な問題よりボーカル的な技術からのアプローチがややおざなりになっているという部分がかなりでかいし、そこは優れてDTM的なボカロという存在を扱いながらも実はDTM的な技術では中々越えていくのが難しい、聖域のような部分だと思う。
 話すことと歌うことは根本的に違うけれど、あるいは自然に喋らせることのほうが難しいような状態になっているのもボカロPが歌を歌わせるのに成功しているというよりは、音楽から人間性を排除してボカロというジャンルを確立するのに成功した結果違和感が少なくなっているということなのだ。これから先ボカロが電子音楽というより人間に近づいていくシナリオが仮にあるなら、そういうボカロ的な音楽に技術的な問題の解決とともに切り捨てて来た人間性をもう一度補間していく作業はどこかで必要だろうなと思うし、実際にはそれはインスト音楽に精通した人でも悩まされるボーカル音楽の特殊性故に見逃されているだけであって別に不可能な話ではないと思う。今となっては人間に似ている事自体もそれほど重要視されていない程ボカロ音楽は固有の発展を遂げたけれど、誰もやろうとしていないかやろうと思っても出来ていないかやっていても埋もれてしまっている技術を埋め合わせていけばボーカルに近いボカロは出来る。出来ないと思うから言っているのではなく出来ると思うから言っているのだ。
 

 人間的なボーカルというのがそもそもどういうものなのかについては極めて重要だけれど、そもそもボカロとの対比の中では違いすぎて語り尽くせない(というか確実に話がまとまらない)部分があるので、とりあえず思い当たったことをボーカルが曲を歌にすることについて その1にまとめておいたので、よければこの記事の根拠にして欲しいと思います。歌手の話 綾野ましろ(ideal white,vanilla skyなど)こちらでもう一段踏み込んだような話をしているので、気が向いたらどうぞ。

(動画とスポンサードリンクは時間があるときに適当に見つけて増やしておきます。)

 

 

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