試しにアニソンを聞いてみる。

ボーカルの視点から音楽を聞いてみる。暫く休みつつ、過去の記事を地味に校正したりしてます/ページ下部でカウンター稼働中。たまに見てみて下さい/・歌手の話まとめ→goo.gl/JiZPgQ/コンテンツの使用などに関して問題があれば撤去しますのでお伝え下さい。ご連絡はhttps://twitter.com/yfyamvまで

訓練された聞き手が「歌手の技術」に対して思うべきことと、ポピュラーミュージックにおける各々の好みの話

 

 聞き手の立場からなら、歌の技術というのはその歌手が上手いかどうかを決めるためではなく、何でその歌手の歌がそうなっているのかを理解するためにあると思う。

 

 そもそも歌手というのは上手いか下手かという単純な存在ではない。技術自体が上手い下手の直線上の概念ではなくて、無限に項目があるレーダーチャートのようなもので、その無限に項目がある中の一点一点を集めていった結果出来た図形がその人の歌になる。「技術」という言葉程ざっくりとした幅の広いものはないし、少なくとも技術という言葉を使うのには器用さと慎重さが必要になる。中身のあることでもないことでも、歌に関する話題というのは互いに空気を読まないと何いってんだこいつみたいな感じになってしまいやすいのは、結局技術という言葉自体が多くの場合宙に浮いていて、要するにレーダーチャートのどの項目のことを指しているのか、誰にもわからないからだ。

 逆に他の人と比較して何故この歌手の歌はこうなのか? を考えた場合については、差分を取った結果違いのある部分の話だけすればよくなるし、そうなると技術と称して実際には歌手の特徴に言及することができる。技術という概念はそのままだと多岐にわたりすぎているが、範囲さえ絞ればそれなりに丁寧に扱うことが出来る。だから他と比べるのはとりあえず方法としてはありっちゃありだろう。方法としてはありというのは、それで出てきた分析の正しさまで保証することは出来ないし、現実世界でそうした方法で行われる分析の殆どにはそれは違うと言いたくなる部分があるということなんだけど、少なくとも僕はこれに近い方法で記事を書いている。

 

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 そして実は、批判でも肯定でもない方法で歌についての何かを論じることは出来る。寧ろ何が正しいとか正しくないとかいう価値判断をしないといけないのは具体性のない話をしているからだ。例えば放っておくとのどが乾いてくるとか腹が減ってくるという事実が具体的な現象すぎて誰も批判したり援護したり出来ないのと同じで、事実をたどれば諍いは起きない。「音楽的な正しさ」という道具は言ってみれば何が起きているかを分析するためのレーダーチャートの外枠なのであって、それ自体はなかなか有用で、少なくとも音楽から何かを切り取って論じるのには欠かせないものだ。

 ただ同時に、事実にはそれ以上の利用価値はない。チャートの面積がでかいと上手いとは言えるかもしれないがそれは何が売れるかとか、ある人がどんなものを好きかということを保証出来ないし、そもそも殆どの人はそんな大きな視点で歌手を見ていないから小さなところで諍いが起きる。

 

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 じゃあ何でそれだけふわふわした存在であるはずの技術に人はこだわるのか。それは歌手を知るのに一番必要な物はボーカル的な技術への理解だという神話がこの世には幅広く萬栄しているからなのだと思う。

 言ってしまえば、好きには根拠があるはず→歌の好きの根拠なら歌の技術的根拠のはず→ならこの歌手の歌にはなにか技術的根拠がある、という三段論法じみた何かが歌手の話に関して広く普及しているのだと思うが、結果的にはともかく、原理的には上手いと好きは別のところから始まっている。

 

 ポピュラーミュージックは高尚な世界ではないので好き嫌いに根拠なんてなくても良いと僕は思うんだが、じゃあなんで僕はこの人の歌が好きなの? という疑問が宙に浮いてしまうなら、考えなくていいというのは少し片手落ちだし、結局はどんなに器用で強い自分を持っている人でも音楽という畑を経由していないと(インスト出身の人なんかは経由していても)簡単に自分の好きを示すために歌が上手いとか技術というような漠然とした言葉に「逃れて」しまう。(もうちょっと器用な人だとこれに加えて「個性」という逃げ道を確保していたりする)しかし上手いとか下手に回り道をするのは、本来自分の好きを語る上で必要なことではない事の気もする。ポピュラーなんだから、上手くても嫌いでいいし下手でも好きでいいのだ。

 そうした歌手への好きを正当化する為の「技術」への迂回が実際に実態と噛み合っていれば結果的に問題は起きないが、実は実態と噛み合っていないことの方が多いので問題が起きてしまう。要は歌手の正体を探る過程で歌手を過大評価したり過小評価したりしてしまうことは容易に起こりうるという当たり前の話だが、それが聞き手と歌い手、需要サイドと供給サイドの間で特に起こりやすいというところにボーカルのポピュラーミュージックの一つの特徴があると僕は思う。一旦自分が誰かのファンになったなら、誰しもが「技術」というふんわりとした概念の中で自分の「好き」の理由を探し求めるミイラになってしまう危険を秘めているし、それはポピュラーミュージックが本当は上手いとか下手とかで好きになるものではないのにも関わらず、多くの人は上手いとか下手のレベルで好きを語ることしか出来ないからそうした悲劇が生まれるのだ。そうやって音楽の話の中では(特にボーカルの話に関しては)、互いに空気を読み合って話を合わせることを一番に要求されるような実情があると思う。

 

 そうならないためにも、技術を抜き出した自分の好きを精細する事にポピュラー音楽の一つの楽しみがあると僕は思うし、自分の好きを技術から隔離するためにこそ技術を学ぶべきだと思っている。人が技術への無理解故に自分の好みを歌の技術のレベルで解釈してしまうならば、技術を理解した人は自分の好みを技術以外の水準で語れるようになるのだ。

 技術を直視するようになると今度は技術を迂回した好きを語れるようになる。単純にこれが好きあれが好きと言い切るという器用な真似を出来るようになる為にも、歌を「聞くための技術」は訓練された聞き手にとっては必要なものなのだ。

 技術という「ノウハウ」が乗っかる前提となる「自分」を理解するためには、自分の好きな歌から技術を割り引いて聞くための技術を聞く耳が必要になるし、僕はなにより技術を終着点にするのではなく自分の好きを上手く理解するために技術を利用してほしいと考えている。

 

 みなさんの好きにも実際には技術的な根拠があるかもしれないしないかもしれないが、普通に考えれば見えづらいところで歌手の技術に対する理解は誰しもあると思う。歌に人間性を認めている時点でそれは技術を認めているに等しい。僕の好きな音楽は音楽的な正しさとは厳密に一致していない(失礼な言い方だけど、だからアニソンを聞いている)し、ポップスから歌を聴き始めた人には多かれ少なかれその傾向はあると思う。これを読んでいる殆どの人だって声楽よりポップスのほうが好きだろう。俺は上手ければなんだって構わないぜって人もいるだろうが、それでも好き好んでポップスを聞いている以上は、ポップスの中に今まで培ってきた好みがあるんだろうし、ポップスは必ずしも音楽的な正しさから生み出されたフォーマットではないということだ。

 技術を学ぶのも学ばないのも、結局は技術を極めるためではなくて、技術の中に自分の好きを見つけたいと思うか思わないか次第だと思うのだ。技術的根拠のある「好き」は他人と共有できるのだからそれを目指す、という道を行く手もあるとは思うが、技術を自分の個人的な好きを追求するためにこそ使ってほしいなあと僕は勝手に思っているし、そういうところが終着点になる前提で勝手に話をしている。

 

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 技術という面から最初の一歩を踏み出すために、2ちゃんのコピペとかアイマスのやつとかで歌唱力Aだとかみたいな誰が上手で誰が下手なのかという情報を集めてくることは、内容が良ければ素晴らしいことだと思うが、僕が見てきた経験から言えばそういう情報にはかなり嘘が多いので、まあ誰でもがアクセスできて編集できるようなのはそんなに参考にはしないほうが良いと思う。とはいえランキングよりわかりやすいものはないし、そこから正しく知識の体系を導ける人もいると思う。希望があればそういうこともするかもしれないけれど、二月で5000程アクセスを貰っておいて一つもコメントをもらえないATフィールド全開のブログなので、暫くはそういった部分からは距離を置くことになるだろう。

 

 何が上手いのか分からなくなって頭を抱えてしまったときは自分の好きなものの中に答えがあるし、ここで話してきたのも、実際には技術は好きなものを見つけるために使うべきだし、それが自分でわかるなら聞く技術は必ずしもいらないという話だ。

 何にせよ僕も勉強中の立場なので、これからも多くのことを学んでいければと思います。今日はこんなところで。