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のうりんポスターと美濃加茂市とおたくの集団意識について

 

 この件に関しての関わり方というのは僕の知る限り3通りある。美濃加茂市の責任を追求するフェミニストと、問題のない表現のはずなので問題のなさを主張する人々と、この件はおたく全体のモラルの欠如を象徴するのでおたく全体の問題だとして周囲を啓蒙しようとしている者だ。

 では誰に責任があるかというとあたり前のこととして美濃加茂市とsilver linkだ。そして役所が許可して設置したと考えるのが明らかに妥当(もし設置するかどうかを役所でなくsilver linkが決められるなら、必然的にsilver linkが役所を支配下においていることになるしそれは有り得ない)なので、責任があるとすれば美濃加茂市にある。

 そもそも今回の問題というのはあのポスターが公共性を有しているか否かが焦点になっているのであって、そこで公共性があるという判断をしたのが美濃加茂市だ。つまり最初からおたくの権利の話などではなく、自治体に相応しい表現としてどこまでが許されるかという自治体の権利の話なのだ。

 

 問題はここにオタクカルチャーへの影響やおたく全体の利益を見出してしまう人だ。これは自治体という主語を何処かに忘れてきてしまっている以上的はずれだし、そもそも自治体はおたくではないのでおたくの責任として一纏めにしてしまうのは強引にも程がある。

 「現場だけの責任ではないはずだし仲間の責任を追求するのは内ゲバだ」というような謎の連帯意識を発揮されると、もはや自治体すら含んでおたく全体と言っているのと変わらない。おたくの範囲を広げすぎて、結果的に責任を負うべきなのが誰なのかわからなくなってしまう。自治体とsilver linkという二者が起こした問題をおたく全体に還元しているのだから、個人あたりの責任は認識不可能なぐらい小さくなってどこかへと行ってしまうのは当たり前だし、結果的に責任を過小評価してしまうことになるのはまずいだろう。外から見れば、問題を起こした人間を庇って責任の所在を有耶無耶にするおたくという集団があるようにしか見えない。

 簡単にいえばおたくが悪いので全員が責任をもつという考えと、自治体とsilver linkが悪いので現場が責任を持てという考えのどっちかを選ぶのに、なんで現実的でない方を選ぶの? という話だ。

 

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 この問題の主語をおたく全体とするなら、silver linkと自治体はおたくを代表していると考えるべきだが、silver linkはともかく自治体は単に打算でのうりんを利用していただけだし、その自治体の判断を「おたく的な行動原理」と見做すのは妙だ。つまりこの局所的な出来事だけからおたく全体への教訓を得ようとしても話がこじれるだけだし、もし仮に主語を大きくしたいなら、おたくが今回の美濃加茂市の件と同じような問題を方々で起こしているというでかいステージから行うべきだし、人の自治体を勝手に主戦場にしてどうするんだという感じだ。美濃加茂市だけの話なら市の政治的権力を握っている自治体が悪いかどうかが焦点になるのは当たり前の話なので、おたくを啓蒙したいなら別の場所でやるべきだろう。

 そもそもこの件を使いおたくを啓蒙するとしても、おたく全体の責任にして結果的に誰が責められているのかも分からない状態にするよりは、現場の責任にしたほうがずっとおたくのモラリティという具体的な教訓を残しやすい。一度現場が悪いということにしてしまうと、おたく全体に責任をかぶせる道理がなくなってしまうのが嫌な人もいるのかもしれないけれど、それは今回の事件とは一番何の関係もない理屈だと思う。

 つまり、この件をおたく全体の問題としたい人が本当に主張したいのは美濃加茂市でこのような事件が起きたことではなく、このような事件が他にも存在するからおたくのモラリティに問題があるということなので、彼らは最初から別の話をしているのだ。

 

 おたくが悪いか悪くないかというレベルからスタートすれば自ずと、おたくという巨大な集団の責任になるか、おたく以外という更に輪をかけて巨大な集団の責任になるかの二択になるし、そんな漠然としたレベルで議論をしても具体的な教訓は引き出せない。これが県政や国政レベルの議論ならそういう漠然とした議論になるのはわかるが、それは話の主語を大きくしているのではなくてもともと主語のでかい話なのだ。しかるに今回の件は主語が大きい話ではないので主語を広げるべきではないだろう。

 美濃加茂市とのうりんというコンテンツをベースにおたく全体を論じることにそもそも無理があるし、人の自治体を勝手におたくの仲間にして、仲間だから世間に認められない表現を飲んでくれたんだと考えてしまうのは自治体を侮っているし失礼極まりない。自治体にはちゃんと判断力があってそれ故に責任能力もあるのに、自治体を勝手にsilver linkの陰謀による被害者にしてしまうのは自分勝手という次元を超えている。もう一度言うけれど、自治体には判断力があり、それ故に責任能力があるのだから、この件に関して自治体の責としないのは、自治体を侮っているのに他ならないのだ。

 

 おたくがおたくという集団の中にいてその外に社会があるという考え方より、社会の中におたくと呼ばれる個々人が生活していて、個々人がおたくか非おたくかの属性に関係なく自分の行うことに責任を持つと解釈したほうが現実的だろうし、社会の最小単位はコミュニティでもおたくという属性でもなく個人だ。漠然としたおたく全体という集団ではなく、範囲の決まった集団(この場合はsilver linkもしくは美濃加茂市)もしくは個人に責任が帰結したほうが結果的には教訓を残せる。少なくとも個別的な事件に関しておたく全体が悪いか否かという視点を持ちだしても、責任の所在を漠然とさせるだけで生産性がないし、おたく全体で反省みたいなことをするにはおたくは既に巨大で雑多過ぎる集団なので、そんな概念みたいなことを論じるよりはもっと具体的な教訓を残して後世のためにするほうが重要なんじゃないかと僕は思う。そもそも現場に「おたく全体の利益を損なうかもしれないからやめる」というインセンティブが働くわけがないのだから、何を持っておたくというものの精神性の話をするのか理解できない部分もある。

 逆に言えるのは、おたくが小規模な集団であった頃にはマイノリティとしてのオタクのアイデンティティを世間に知らしめる必要があったとしても、今はもうそうした動機は機能しないということだ。おたくという集団に責任転嫁するのが無駄なのと同じで、オタク文化のためにオタク的な表現を世間に示すという目的にも既に大義はない。そんなことをしなくても向こうはこっちのことを既に認識しているからだ。今の時代はおたくはおたくとしてよりもっと公共的な個人として合理的に振る舞うことが求められているし、再び表現規制などの問題に直面しない限りはおたくという集団を想定することに意味があるとは思えない。皆自信を持って自分がしたわけではないことの責任を自分から切り離して、リベラルな考えを持つべきだし、そうしないといつまで経っても話は先に進まないだろう。