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ラブライブと紅白歌合戦、アイマスと、歌の公共性について

 皆さんも御存知の通り紅白歌合戦にμ'sが選出された。アニメ音楽を好きな人間として祝うべきことだけれど、他方でどんなものに対してでも多かれ少なかれある紅白に対する不安もないわけではない。アニメやCDの音源から積極的に粗を探したわけではないし、μ'sの歌曲はそれをする必要が無いぐらい様になっていたけど、他方でNHKで録画放送されていたアニメロサマーライブのステージではちょっと物足りなさもあった(基本的にはユニットで歌われる歌が主体なので、単独でない外部のライブでメンバー9人全員で歌うレコーディング音源をライブで使う全曲分用意できなかったから生歌が入っていたんだろう)。初代のアイドルマスターからも6人ぐらい来ていたがそっちのステージのほうがボーカル的に見れば魅力的だったと思うし、それを今井麻美のユニゾンだけで説明してしまうのはもったいない。何でそこが比較の対象になるかといえば、ライブの開幕で大々的にコラボをして全員でお互いの曲を歌ったところなので、歌い手(ニコニコは関係なく、歌に関わるアマプロ全てのボーカルという意味だ)を見たくて見ている人間としてはそういう視点にならないほうがおかしいし、単純に規模やコンテンツとしての完成度の点で比較対象としてふさわしいものがラブライブには他にはない。それは今現在ラブライブが、アイドルアニメとしては突出したコンテンツだからだ。
 そして重要な事だと思うんだけど、茶の間はμ'sをどれぐらいキャラクター的なものとして受け入れてくれるかという問題も出てくる。僕らとNHKの視聴者の理解するμ'sの間にはキャラクター性や物語性への理解について差があるだろうし、そもそもそういった各々の歌手のバックボーンが見えづらい中でNHKホールに放り出されて歌わされるごった煮感というか、今映っている何者なのかよくわからない有名人らしき人の歌をとりあえず聞く闇鍋感が紅白の醍醐味という気もするし、それが紅白歌合戦の特別な所だと思う。つまりμ’sは世間から見れば闇鍋の具材の一つだということだ。
 つまりテレビの前の我々の家族はAKB48やゴールデンボンバーのようなレベルの演出があって、テレビ内の役者が明らかにパフォーマンスをしに来ていることが分からない限り歌しか聞かない。まあそこはNHKがどれだけ綺麗にやってくれるかという類推しようもない話でもあるし、一昨年ぐらいの紅蓮の弓矢をおぼろげに思い出せば大掛かりなことをやってくれそうだなという期待も持てる。
 そして、極めてライブ慣れしているメンバーが8人もいるのだから、少なくともミスというようなものは起こらないか起こっても殆ど気にならないだろう。数は力だ。
 


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 ラブライブはコンセプトからして既存のアイドルアニメと比べると断然面白いと思うんだけれど、それと関係有るような無いような話として一期一話の穂乃果ちゃんのソロ部分でラブライブの音楽には既にアニメソング的な個性が出ていたと思う。王道的なポピュラーの技術とは少し違う所で発展性を感じるという意味でだ。あのアニメを見ている人は神田沙也加みたいな穂乃果ちゃんが見たいわけではないと思うし、もっと言えば声優的でアイドル的な歌を期待するのが自然だと思うし僕も見る前からそのつもりだった。そしてそのベースで行けば、ラブライブはキャラの時点で音源としてまとめることに焦点があっているなという感じのメンバーだ。そういうメンバーを集めるのは言葉で言うほど簡単なことじゃなくて、ボーカル音楽というものに詳しい人が企画のある程度の部分を任されていないとバンドやアイドルものは絶対ボーカル的に粗のあるものが出来る。その点ではμ'sにはなるべくしてなったんだなという感じすらあるような統一感があり、他をサンプルに取ればμ'sが歌うメンバーなのはあまりに明らかだ。
 


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 なら次に問題になるのは、そういったμ'sの良さをNHKホールでどれだけ引き出せるのかということだ。結局のところライブというのはライブパフォーマンスとボーカル的な華やかさが出来の殆どで、キャラが出てきてくれるわけでもなければ、声質(こえしつ)が輝いていて整えれば潜在能力のある歌い手を生かす場所でもない。更に言えば紅白は小林幸子みたいな一部の出演者を除いたあらゆる歌手にとってアウェーだし、ライブパフォーマンスの半分以上は本来は観客が作っているのに、アニメソングのライブやソロライブで得られるような会場の一体感は多分紅白では得られないし、悪ければ合いの手すら入れてもらえないかもしれない。だから紅白においては余程誰でもが知っている曲でないとAKBレベルの数の暴力でない限りは最終的に歌の出来次第やエンタメ性次第になってしまう部分がある。ハムちゃんずが許されるのはエンタメ的だからだし、皆が知っていることや親しみやすいことは最強の武器だ。
 
 μ'sはアイマスとはボーカル的なアプローチでは個々人の能力はぜんぜん違うと思うし、それはアニメとしての方向性がそもそも違うからだと思えば一番納得がいく。双方の企画のメンバーを入れ替えて同じことをしようとしたら間違いなく破綻するし、アイマスはやや強引な言い方をすれば声優に対してアニメ的というより歌手的なアプローチを課している。まあそういう手堅さがアイドルアニメというジャンルが確立されていない時代には必要だったと思えばわかりいい。
 学園アイドルという設定を生かすための配役という意味ではラブライブはおたく的な学園とアイドルのイメージが素晴らしく両立されている。実際ラブライブの楽曲は歌手的というよりは声優的でありながらアイドル的という、美味しいところを両立させた出来になっている。「とりあえず歌手」であることを最重要視しない中でアニメの出来を音楽性に委ねることに焦点があっているところには先進性があるし、音楽性以外にもアニメの出来を左右する要素なんて無数にあるんだろうが、おたく的に定番の「アイドルユニット」となると最早μ's以外にないし、それは大勢の人が二次元のアイドルユニットに対して望んでいた声優的な輝きのあるボーカル性がμ'sにあるからだと思う。そしてその過程で、多くの出演者は歌手として歌うことよりキャラとして歌うことを優先している部分があり、そこが歌手としての表現を抑制している部分でもあるのだ。

 
 非常に言葉にしにくい部分だけれど、実力というのは仮にライブになるのには必要だったとしてもCDになるのには必ずしも必要が無いし、ライブになるんじゃなければそんなものはなくたって問題はない。技術というのはある意味ではあったほうが歌になる可能性は高いというもので、それで魅力的なレコーディングが出来るかは計り知れない部分があるし、極端に言えばうまく録れるという確証があるなら半分ぐらいは窓から投げ捨ててもいい。ただそうやってうまくいく例が少ないという法則性は明らかにあるし、メジャー流通するような音源なら音程やリズムはレコーディングでエンジニアリング的に(要するに、録音された歌手の声のデータを機械で弄って整えるということだ)変えられても、その人の中に魅力的な声があるかという部分に手をつけるのは技術にメスを入れるより遥かに難しくて、その魅力的な声を探すこともそもそも歌い手に一定の歌に対する理解がないと無理なのは承前という話でもある。
 
 そんなに遠巻きな話をなんでするのかと言えば、ラブライブの音楽は聞いてすぐにいじったな? という確信が得られるからだ。これは声優としてもアイドルとしても今更感すらあることだけど、具体的に説明するなら流れがちょっとおかしくても音程とリズムがメロディーに収まってフレーズとしてつじつまが合ったり、歌として綺麗でもそれは普通歌にはならないだろうというようなことが音源の中にあるようなことだ。声優も仕事なのでそのあたりは声を出すことについて素人の予想を遥かに超えた技術で対処しているのかもしれないけど、アニメ的な音楽の醍醐味は弄られることにあると僕は思う。どうやってこの声優をこの曲にしたんだろうというボーカル的に奇抜な部分だ。要するに、声優として歌に表現性を与えることというのはどうしてもエンジニア的にボーカルを扱うことと切っても切れない関係にある。これは声優だけに限らないが、声優としての表現性がCD向きの発展を遂げてきたのは殆ど否定出来ないと思うし、歌を聞く者としては珍しいことだろうが、僕はその声優的な表現性が気に入っているからこういう記事を書いている。
 歌えるかどうかなんて大した問題ではなくて、そこでCDになっていること自体が最高の表現性であり何よりも尊くて歌い手個々人やボーカル音楽全体の可能性を広げることになる。一方でそうした専門性を追求するほどナマとのギャップにもがき苦しむのがライブという世界でもある。個々人に歌手としての適正があっても合わせて歌うならむしろ歌手としての個性なんかより譜面通りに歌えることの方が重要だったりするし、歌手としての力以前にμ'sにはキャラを作って歌うという枷が重くのしかかる。普通に考えれば技量どころの騒ぎではない。初代アイマスは歌を後ろで支えている歌手に声を作らせないし、彼女たちの歌の巧さとして評価されている部分は歌手としての上手さというよりももっと広範な歌い手としての上手さに近いものがある。簡単にいえば宇多田ヒカルと藤あや子といきものがかりを合わせても合わないけど歌のお姉さんを3人連れてくれば合うみたいな話だ。
 
 まあどんなにライブに対してネガティブな話をしようと、μ'sが数多のライブを成功させてきて今があるという事実はなくならないし、CD的な音楽だからライブでやるなと言うのならそれは流石に無理筋だ。もっとも紅白は普通のライブと違いマイクOFFの口パクもなければレコーディング音源も被せない(ということになっているし、実際それ故に起きる歌手のミスが毎年散見される)ので、絶対に安心して見ていられるかまではわからないという危険はあるが、それはある意味本筋ではない。
 何が言いたいのかというと、他方で今までアニメ枠から出演するのが水樹奈々だったのには、アニメ音楽的なバックボーンをもし世間が理解しなかったとしても、知らないなりに見ていれば歌で波及できる歌手が配置されていたからだと僕は思うし、そう考えれば以前初音ミクの紅白出場が噂されたようなレベルで、ラブライブがNHKに期待されているのは実際には(おたく的な)エンタメ性であって、ラブライブが社会現象になったことで、紅白に呼べるようなレベルでμ'sのバックボーンが社会的に共有可能だとNHKが判断したという事情があったんじゃないかという話だ。なので、人気や文化的波及力ということが今回μ'sが選ばれた理由を解釈するためのキーワードとして相応しいと僕は思っている。シンプルな言い方をすれば、こいつを選んでおけばアニメファンも納得してくれるしアニメファン以外もとりあえず歌で納得させられるやろっていう人選ではなく、NHKは明らかにラブライブのコンテンツ性を当てにしているということだ。何よりもNHKで再放送をやっているのが大きいだろうが、そのラブライブのコンテンツ性というあてが当たるか外れるかが、μ'sと「NHKの」挑戦としてある意味もっとも注目すべき部分だろう。
 


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 紅白というのはなんだかんだ行って帰ってくれば終わりになるイベントだ。意味がわからないかもしれないけれど、どんなものでもレベルが上がるほど失敗と妥協と成功は連続的なものになっていく。要するに恒常的に厳しい環境下ではどれがミスでどれが妥協でどれが歌手のやりたかった通りの部分なのかを外から明確に区別するのが難しくなるということで、それによって些細な部分が全体的に許容されてライブ的な自由が生まれてくるし、紅白は生歌とホールのせいで、歌に常に興味があるわけではない人がテレビで見るものの中ではそういうライブ感が冗長される傾向はとてもでかい。皆条件は同じだ。
 細かいことに気がつくかどうかはともかくとしてそれらを全体的に受け入れるおおらかな気持ちを持ちながらテレビ越しにNHKホールの広さと音響の悪さを漠然と感じるのが普通の聞き方だと思うし、そんなことは全然していないと思った人も少なくともCD並の出来を期待してはいないだろう。
 
 そもそも紅白で今まで歌手がミスをした回数やミスのような実力のような微妙な感じが繋がって凄いことになっていた回数なんて今まで食べてきたパンの枚数みたいな話だし、キャラクター性や言及性も従来はファンや関係者が勝手に見出すよりも、歌手が自力で歌の中で作っていかなければならないことがよくわかる全方位に対してアウェーなイベントだ。だからこその期待や不安もやっぱりあるんだけど、そこで単純に好きだからμ'sを応援する動機があるか、あるいはそれがなかったとしてアニメソングを代表して欲しいという思いを持って期待できるかというのは視聴者の立場次第だしそこには本質的に自由があるだろう。ただ紅白歌合戦という場でNHKとμ'sの最初で最後のステージに期待しないのは完全に損をしていると僕は思う。
 
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 最後に、僕が何の肩書もないただボーカルを聞くことが好きな人でしかないことをご理解頂いた上で申し上げるが、この件に関して初代アイマスを持ち出す人の気持ちは僕は分かる。あの企画は、昔はどうだったか知らないけれど今となっては歌と向き合う気合が明らかに他とは違うし、声優性を考えなくても聞ける企画だ。ユニゾンで今井麻美がいなければ全く違う出来のものになってしまうだろうという聞こえ方ではあるし、10年もやっていれば綺麗に揃うのも当たり前だけれど、唐突に野球に例えるなら四隅に変化球を投げ分けて130km/hを出す投手と154km/hを投げる投手みたいな差が他のコンテンツとアイマスの間にはある。それは流石に例えのレベルが不相応過ぎる感じはするけど、少なくとも集団でステージに上げればボーカルとしては他とは明らかに決定的にこれでもかというほど完全にクオリティの違うものが来るし、それ故に没個性のところもあるかもしれないが、アニメ的な表現性が薄いのなら、むしろ公共的な場としての紅白にはラブライブの前にアイマスが選ばれてもいいだろうと思った人が多いと思う。
 
 ただそれはそこら辺の人の都合にすぎないし、紅白歌合戦は非常に公益性の高いイベントだけどそもそも営利目的だから何を選ぼうがNHKの勝手過ぎる問題だ。僕はラブライブが文化の違いを丸呑みされて評価された結果という意味合いが強いんだと思っているし、シンマスのメディアミックスが本格的にはじまって初代アイマスから人気の引き継ぎが行われつつある中でアイマスが「若いコンテンツ」に戻っていく中で、あえておたくの代表として送り出すのに相応しいコンテンツがあるなら、どう考えてもラブライブだろうという感じがある。
 こうやって紅白に出る出ないで揉めることは僕が覚えている限りでは昔からあって、JPOPや演歌ならそこに活動拠点があるわけだから死活問題だし必死になる正当性はあるだろうが、どんな作品のどこに使われているだのというバックボーンとそのおたく的な深さが歌の根底部分にあるアニメソング的には、本質的に紅白はステージクリア後のおまけというかボーナスステージみたいな認識でいいかなと思う。まあそれはあくまで僕の勝手な解釈ではあるけれど、EXステージへ進出したμ'sを色々考えたり考えなかったりしながら普通に楽しめばいいと思う。紅白というのは基本的に、だめなことが前提の良かった探しをする場所であり、ポピュラーミュージックを聞くものとして、批判したくて批判するような使い方をするものではないのだから。
 
 
 
 
 
 
※このブログで一番長い記事をここまで読んで貰ってありがとうございます。
他のものはもっと具体的な焦点に絞りながら1/2ぐらいにまとめているので、気が向いた時にでもご覧になって下さい。

 

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