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試しにアニソンを聞いてみる。

ボーカルの視点から音楽を聞いてみる。暫く休みつつ、過去の記事を地味に校正したりしてます/ページ下部でカウンター稼働中。たまに見てみて下さい/・歌手の話まとめ→goo.gl/JiZPgQ/コンテンツの使用などに関して問題があれば撤去しますのでお伝え下さい。ご連絡はhttps://twitter.com/yfyamvまで

アニメソングから考える音楽性と時代性の話

ボーカル音楽概論

 中恵光城という歌手は少女病で歌っていると恐ろしくよく聞こえる。録音環境の良さもあるだろうが、確かに元々発声には潜在的な深さを感じる上で器用さもあって、かつそれを普通は両立できない。声を言葉にすることから離れて声を出すという技術に踏み込んでいくと口の中で転がすような歌い方になって、とてもポピュラーには似つかわしくないし、逆に滑舌で刻もうとするほどに声は豊かさを失っていく。

 

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 中恵光城の歌を少女病の音源で聞いた時、滑舌を取りながら響かせることを高レベルで実現できるものなんだなと感じたが、そういう砕けた技術を比較的フォーマルな枠の中で解釈出来ている歌い手を他に殆ど見たことがないし、何より他の場所で歌っている彼女の歌には中には首を傾げたくなるものもないではない。

 

 歌い手は録音環境によって死ぬほど変化するし人によっては生音源との格差でアイデンティティの危機に遭遇するし、そういうことはメジャーアーティストでも全く珍しくない。コンサートは歌手とレーベルにとって最大の儲け話で、レーベルというのはコンサートをする為にCDを売るような面もあるんだが、歌い手の事情でそれに中々踏み切れない場合もあるだろう。

 

 最近では藍井エイルみたいな、JPOPからアニメソングに技術を輸入してきたような歌手もいる。というより勝手な想像をしてしまえば、そういう畑から歌手を拾ってきて歌わせても通用する程度にアニメソングという市場が音楽的に肥えて来るのと同時に、元々曖昧だったJPOPとの境界が一気に消えていっただけかもしれないし、そもそもエンジニアリングの進歩とともにJPOP自体のレベルも明らかに上がっているので単純にその余波じゃないかとも考えられる(このことには、録音技術の進歩が音源を単純に上質にしているということと、録音技術と再生技術のデジタル化等で安価な環境でも表現性を差別化出来るようになったことによって標準的に歌い手に技術が求められるようになったということの二通りの意味があると思われる)が、まあなんにせよアニメソングには大きい意味でそういう変化が生じているし、むしろ主題歌にロックみたいなJPOPを持ってこれるアニメは高尚だとか小洒落ているという空気も最近はあると思う。

 

 僕は女性の歌を聞いてきた時間のほうが圧倒的に長いので女性の歌のほうが全然わかりやすいし、それが声優の歌なんかを聞くことを嫌がらないための原動力にもなっている。脳ある鷹が爪を隠すような話で洋楽がボーカル的に上手いということを厳密に理解出来る人はそれを殊更に強調しようとしないし、そういうことを一先ず言う人はやや信用出来ないが、事実として彼らは圧倒的に上手いし、上手さを楽しみたいならそういうものを摂取するのが生産的だと思う。しかし僕は今まで日本語の歌で育って来たし、あいつらが上手いのは自明だから聞くのは楽しいけど「うまい」を見つけるのは楽しくないと思う部分がある。勿論、技術的な格差を言語性に押し付けるようなことを別の記事で話した直後だが、世間で共有されているぐらいあたり前のこととして技術的な差というのは言語性だけの問題ではない。ただ、それを悲観する必要はそんなにないんじゃないかと僕は思う。

 

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 ところでなんとなく洋楽が好きな人の中には、JPOPが稚拙化しているし、稚拙化しているJPOPなんて聞く価値がないと言いたがるような人がいると思う。昔某大手予備校の代々木にある校舎で受けていた小論文の授業では講師が授業をほったらかして延々としゃべっていたんだが、その内容というのは、ネットやテレビの普及で人は実態のない経験を得ることが可能になり想像力を失っており、それが沖縄の基地負担を想像できない若者の精神性に繋がっており、けいおんは衝突のない人間関係に安らぎを得る馬鹿の象徴で、AKB48は人の内面を理解できない現代人が見た目と若さだけで人を選んだ結果だという。これは彼の中にある何かの内、たった1時間半の間に行われた講義の内容に過ぎないものだし、言葉以外が使えないという点でネットやテレビ媒体より伝え手のイメージが明らかに脱落している書籍は実態のない経験ではないのかとか、思想というのがそういう側面を持っているのはないがしろにされるのはどうしようもない部分もあるなと思うけれど、それより驚くべきことはポップカルチャーを語るわりにAKBの20年前に秋元がおにゃんこクラブを作って一山当てているのを知らないことだろう。

 

 中年男性固有のAKB48の商業的な成功とメディアへの露出による流行の理由を区別できない故におたくがポップカルチャーを食いつぶしているように見える現象はむしろ笑ってやらないと、まともに相手にしていないという意味で失礼に当たる気がするが、それはともかく現代よりメディアが少ないゆえに活動拠点が多様でない昔のアイドルは、人気を金に変える手段としてCDを出していたという側面は今より大きかっただろう(そういう音楽から来たわけじゃない人の音楽程レコーディングで盛れない分はしょうもない音楽になるし、アイドルソングのレベルの低さは酷かった)し、もっと言ってしまえば日本のフォークソングはボーカル的に王道の技術ではないし下手だ。昔の方がいいと言う人に対抗する目的なら、主語を絞らなくても通用するぐらいにそういう傾向がある。その後進性を自分が当時若かったからというだけの理由で見逃してしまうこと自体はたかだか個人の矜持の問題なので何の罪もないが、それを使って何者かを批判するならそれは傲慢だし、文化的な位置づけというものに注目したいだけなら勝手にすればいいが、音楽性に触れないという覚悟と徹底的な遠回りのための論理武装がないと、結果的には専門外から音楽性や現代という時代を足蹴にしているだけだ。

 

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 まあ何でそんな具体例を上げたかというと、これは理屈で洋楽を愛しているおっさんにとってのステレオタイプなJPOPの姿のような気はするし、そういう考えを持つ人がいること自体は仮に共感できなかったとしても、今の時代に生きる人間として理解しておかないといけない気がするからだ。実際言論と文芸の距離は極めて近いし文芸とポピュラーの距離も近く、音楽の政治性というものにそれがくっきりと現れているだろう。

 

 音楽的な技術は時代性に大きな影響を受けるし、ポピュラーがよくわからないのでなんとなくそれを堕落した時代性とやらと結びつけて悪いかのように言ってしまうのは立場としてはわからないでもない。そもそも歌と関わることの中でも評判を聞く以外のことについては基本的に専門的な知見が必要であり、あるスポーツを実際にやったことがないと観ていても技術の良し悪しが分からないような話で、そういう専門性がほかの楽器や娯楽と比べても圧倒的に蔑ろにされやすいのは公共性を手に入れた分野の宿命なので仕方がない。

 

 正直ボーカルというのは人気という意味で公共性に甘えている部分がある。つまり音楽性以外の部分で社会的に評価されることが常態化されていて、殆どの歌い手はそれを受け入れているどころか利用して生計を立てているので、歌い手だけでなく単に聞き手としての技術を持つ人に関して言っても、ボーカルの知識がなくポピュラーを語るような市場を形成する一般人を批判する権利はないし、むしろそれをやってもらうのが健全といえば健全な世の中だと僕は思う。

 

 しかし現代的な音楽がボーカル的に質が悪いということは普通に考えればないし、日本の事情に関して言えばオンリーワンとかそういう価値基準が問題にすらならないぐらいレベル自体が上っている。そして日本におけるポップカルチャー的な音楽というのは、仮にインスト曲であったとしても、ほとんどがボーカル的な専門性(ボーカル曲っぽいキャッチーさ)から逃れられないのだ。

 

 (音楽を借りて)文化の話をしているだけなのに勝手に音楽性の話をするなという意味の分からないことを主張する人もいるかもしれない、というより多分わらわらいるんだが、仮に思想を語る為に音楽の専門性を流用するなら、専門からの批判に耳を傾けないのは論理矛盾を放置している壊れた議論に他ならないし、そうやってよくわからん人に借りパクされて好き勝手されている分野を音楽という専門性が取り戻そうとする行為すら他人への配慮が足りない結果だと思ってしまうのはもはやダブルスタンダードどころの騒ぎではない。ただの思想の傲慢だし、文科省に転科を求められるのも当然の報いだ。

 

 専門からの借りパクをどのレベルでおかしいと感じるかは程度問題にすぎないけれど、とりあえずボーカル曲を扱うのにボーカルへの理解がないことは致命的だ。これはJPOPがボーカルのキャラクターによって殆ど音楽性を規定されているような、要するにボーカル至上主義的な世界なので、ボーカル至上主義の稚拙さをインスト的立場から語りたいなら他所で勝手にやっていればいいが、少なくともボーカル性を度外視してJPOPを勝手に解釈して下衆だの高尚だの言うのは完全に現実を見ていないし世間から取り残されている。

 

 観点の違いで正当化したとして、それはその観点の中だけで正当化されたに過ぎないので一般的にはなんの汎用性もないはずだ。まあ日本には演歌という分野があり、それを僕を含め多くの新しい文化の担い手は殆ど理解できないという部分は、考慮しておくべきかもしれないけれど。