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試しにアニソンを聞いてみる。

ボーカルの視点から音楽を聞いてみる。暫く休みつつ、過去の記事を地味に校正したりしてます/ページ下部でカウンター稼働中。たまに見てみて下さい/・歌手の話まとめ→goo.gl/JiZPgQ/コンテンツの使用などに関して問題があれば撤去しますのでお伝え下さい。ご連絡はhttps://twitter.com/yfyamvまで

ひなビタ♪ とジャンルの隆盛について

音ゲー ボーカル音楽概論

 ひなビタというのはBEMANIブランド内に存在するアニメキャラクターによるガールズバンドで、メンバーやバンドの名義で同ブランドの音楽ゲームに楽曲を配信している他に、facebookやウェブラジオを使って進行するストーリーがブランド内外のファンから人気を博し、今まさに独自の企画として発展性を得ている。登場キャラのめうめうに妙なことを言わせるテンプレネタをツイッターや掲示板なんかで見たことがある人も多いと思うし、それはこのコンテンツがフィクションとして公共的な存在になっていることの現れだと思う。

 

 ひなビタというコンテンツはユニークだ。あれが立ち上がった時のことをまだそこそこ覚えているし、音ゲーというインスト出身者の畑でオリジナルのボーカル曲が扱えるんだろうかという不安は歌う側の立場からすれば正直に言ってあった。

 

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 とりあえず根本的なこととして歌い手は曲をそんなには選べない部分がある。曲を聞くまで歌うか否かの判断を保留できる機会なんてそうないし、むしろ曲が先に出来上がっている事が少ない。歌い手には歌える歌と歌えない歌があるからだ。

 言ってみれば楽曲がレールだとすると歌い手と編曲というのは車輪の両輪だ。走れない軌道の上では破綻する。ではどれから作るのが合理的かというと、まあ実際に鉄道会社がどうやっているかは全然わからないんだが、普通に考えれば線路を敷いてから合う車輪を見つけられないとなると悲惨なことになる。つまり企画物やオーディションとかで曲はすでにある的な状態でなければ、歌い手から曲が決まるのが自然な成り行きだ。

 勿論どんな曲しか作れないという制約は作曲側にもあるので、この作曲者と歌い手の組み合わせでは余程奇抜なことをしない限りうまくいかないだろうというようなことが予見できてしまうことはある。正直に言えばアニソンなんてアニメの主題歌になっているようなものは大半がメジャー流通しているんだからそういう問題が全然少ない方で、同人音楽活動みたいなものを除いて会社にカネを払うことで得られる音楽に限定するなら、音ゲーは作曲者の都合的に歌い手が合わせに行くような楽曲が多い。

 

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 ボーカルの絡む企画というのはある程度ボーカルに対する理解のある人間が全体をコントロールしないと曲から崩れていく。これは曲を選ぶ権利が歌い手にはなく、他方歌い手を選ぶ権利が企画側にあるということでもある。そうやってキャラから作って滅んでいく企画なんて星の数ほどあるだろうし、実際にはどんなに企画側に見識があっても希望した歌い手が参加してくれるわけでもないし、一人でも予定から欠ければバランスを失うことはある。そこには途方も無い偶然性と、その中でのミュージシャンの試行錯誤があるはずだ。

 

 つまりちぐはぐな企画が出来上がるのは大抵ボーカルに問題があるというより、ボーカルへの理解がない企画側に問題があると僕は言いたい。歌い手を生かすも殺すも企画次第だ。

 そしてその意味ではひなビタは元々、狙いはわかる気がするし無難だけど、それ故に商業的企画としてはあくまで従来的な枠組みの中にあったと思う。

 ガールズバンドだけど、メディアミックスを利用してキャラ物もやりたいから声優がいいし、そういう意味では話を広げすぎると収集がつかないので音楽としては奇抜で素晴らしい物に決着する必要性は特にない。音ゲー的な、元々音楽に興味がある人のためのニッチさとジャンル的な雑食性に、ボーカルものとキャラ物という一般ウケする属性を混ぜあわせれば、どの方向性にもこなれた感じのあるまとまりのいいオシャレコンテンツを外から見ている限りは予想すると思うし、僕は最初に見た時そういうものになるだろうと思ったのでちょっと気に食わないところがあった。キャラやストーリーが前面に出てくるのなら歌い手の潜在的なボーカル的表現性は邪魔になるだろうし、少なくとも新しい歌手を世に送り出してくれるような企画にはならないだろうと感じたからだ。

 

 実際に歌手を上手く使えないという意味での破綻がひなビタになかったわけではない、というより聞いている限りではあったと思う。ただボーカル曲にとって非常に重要なこととして試行錯誤の間にボーカル的な表現を見定めていくことが、意図的にか結果的にかは分からないけれど出来ていたと思う。

 上手くいかないコンビもあるけどキャラ物だから全員が一通りカップリングされないといけないので、とりあえず当たり障りのない曲で曲数を埋めておこうという感じがあるとボーカル的には発展性を失ってしまうが、その意味で曲にストーリーの語り部としての目的性があったことには極めて大きな意義があった。具体的にはひなビタの場合はストーリー上のキャラクター的なテーマがそれぞれの曲に還元されるような文化があったということで、キャラクターと物語が声優さんによって引き出されたものを改めて楽曲にして声優さんが表現するという強固な一貫性が、結果的に曲にボーカル的な表現性が現れる余地を産んだとしか考えられないと僕は解釈している(中の人とキャラクターとか、曲と物語というのは、卵が先か鶏が先かのような話ではあると思うんだけど)。

 次第に企画の希望とボーカルの折衷案というより、現場の慣れやストーリーの展開でキャラが共有され始めたようなことで、返ってボーカルの表現性や人物性をゲーム音楽的に生かす方法が模索されるような感じになったとボーカル寄りの立場の僕は捉えるし、大げさかもしれないけれどそうした歌手の表現性へのアプローチは、今のゲーム音楽に可能なボーカル音楽や女性ボーカルに対する最大限の敬意の表明じゃないかなと思う。単純に企画の過程で声優の実力や勝手がわかってきたということが一番の要因かもしれないんだけど。

 

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 ただ始まった段階では実際、キャラを描くことの重さを歌に全面的に転嫁するのをちょっと嫌っていたというか、どこまでキャラを定めればいいのかちょっと手探りなところがあったと思うし、インスト的には合理的でもボーカル的には平凡で地味な曲が多かった印象を受けるし、まり花とイブが八面六臂の活躍をしなければそのまま今まで来ていたと思う。その意味でツインボーカルは非常に画期的だ。

 歌手になる要件というのは歌い手としての技術と華があることだ。技術的な意味において歌手は突出しているが決してそれだけではない。要は格好いい歌というのはそういう歌手としての輝きを持つ人でないと扱いきれない部分があるし、それがある意味で声優の歌やアイドルの歌や、もっと他のいろんな歌の限界でもある。ツインボーカルはその壁をまたぐ事ができる。当たり前だけどユニゾンやハモリで声に倍音が増えるので複数人で歌うこと自体が非常に映えるし、一人で歌うというのは聞いている側にとっては同じような曲の中に同じような癖を刷り込まれ続けるということだ。そんなもの上手くなければやっていられないに決っている。

 加えて言えば津田美波には歌い手としての技量があった。最初にカタルシスの月と乙女繚乱を聞いた時にはイブにこんなに綺麗な声があるのかとびっくりしたんだけど、そこはやはり声優なのか、そういう売り方をすることは考えていないみたいだなとチアガールを聞いて思ったりした。ただまあ、ポピュラーには歌手以外の上手い人と(失礼な言い分だけど)上手くない歌手の違いは明確にあって、歌が魅力的かどうかは正直言葉や表面的な部分では「歌がそれらしい」としか表現しようが無い部分もかなりある。そういう難しい部分をいい具合に仕立ててくれて、技術を試す土台を作ってくれるものとしてツインボーカルが機能するのは先進性だ。

 

 個人的に最初にひなビタへの考え方を改めたのはちくパを聞いた時だ。音ゲーの中からも特筆すべき作品が出来るじゃないかと思ったし、カタルシスの月や水月鏡花のコノテーションも、近年日本のゴシックメタルというジャンルをアニメ的なものに塗り替えているような系譜だなと僕は勝手に感じたけれど、キャラ性に期待して買う以外の説得力はあったと思う(勿論ポップ?カルチャーとしてキャラクター性や物語性は絶対に放棄するべきではないとは思うけれど、殆どの場合はそこに音楽性を加えることか、あるいは逆に音楽性にそれらの要素を加えることのどちらかでつまづいてしまう)。

 曲が増えていくと曲を聞く楽しみも増えていったけど、最近筐体入りした漆黒のスペシャルプリンセスサンデーは衝撃的だ。これもオタクカルチャー音楽的な、しかも割と具体的なレベルでの影響がかなりあると思うんだけど、そこに咲子の柔らかいボーカルが乗っかって、メロディアスで少しフォーマルでメタル的なくどさのない曲だ。あんな歌に咲子の声が乗ることなんて全く予想していなかったし、最初に聞いた時はこれがひなビタで聞けることも咲子がこの曲に命を吹き込めためぐり合わせも本当に嬉しかった。

 

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 ここまでの話と一見食い違うようだけど、個人的にはひなビタがそういう方向性を目指すことが出来たのは入り方が大きかったと思う。基本的に新しいことをするコンテンツというのは高尚すぎないところから入ると、ファンと一緒に成長することが出来る。というより、ファンを成長させることこそが市場の開拓の本質的な意味だ。例えばある日すべての曲でパフェを出す弐寺星人が現れても誰も信用しないだろうが、ランカーが長きにわたって行くところまで行けばギャラリー界もそれに順応する。つまり魅力のある事物に誰にでもが持てるような視点から、誰かが代表として到達してみせる必要がある。

 バックボーンの理解できない事柄には人は共感しづらいし、だからジャンルとコンテンツには育てるという概念が存在するし、先進的なコンテンツに対して後から文脈を補完していくコンテンツが登場して人気を博していくことでコンテンツはジャンルになりジャンルは文化になる。ひなビタは(大仰な言い方をすれば)恐らくけいおんやアイドル系アニメの文脈を引き継ぐものでもあるし、音ゲーやもっといろんなものに対する先駆者でもあると思う。立場は違えどポップカルチャーというのはそういう発展性を得ていく過程を同時代の多くの人々に対して示していくのが役割だと感じる。僕の場合は特にボーカルを聞くということに関してではあるけれど。